お天道様がみてる
ほんの少しの休憩時間に、近くの公園に行くことがあります。
木々がたくさんあって、静かなところで、結構気に入っています。
その公園は、たいていきれいに掃除されているのですが、たまに、いやな気分になることがあります。
たべたお弁当のごみをそのまま捨てていってたり、タバコの吸殻を、大量に置き去りにしてたり・・
そこは、とても歩いてきたり、自転車でくるようなところでもありません。どう考えても、車で来るしかないところです。
ということは、自動車に乗れる、大人のしたことだと、考えるのだ妥当です。
最近よくみかける光景です。
こういうのをみると、こんな私でも、結構怒りが込み上げてきます。
誰も見ていないから?ごみを持って帰るのがめんどう?
どんな理由にせよ、まったく、自己中心的な考えです。それも、大人のやることでしょうか。。
最近思うことがあります。
三日月とうさぎで、伝票はうさぎなどのクリップで留めてお出しします。なんでもないことだけど、お客様に喜んで頂けるかなと、考えてお出ししていることです。
そのクリップは、最初から考えますと、ずいぶん数が減っているんです。
伝票を私に渡してくださるとき、クリップなしで、伝票だけ下さることがあります。だいたいは、テーブルの上においててくださることが多いのですが、残念なことに、テーブルにもないことがあります。
右手に握ってるのが、わかることもあります。
たくさんたくさんきてくださるお客様の ほんの一部の方のことです。でも、とてもさびしい気持ちになります。
でもあえて、クリップ無しの方にも、確認はしておりませんし、このクリップを使うことをやめようとも思っておりません。
誰が見てなくっても、自分が見てる。
そういう小さな「いやなこと」を、「ラッキー」だとか、思う方は、かえってとてもさびしい方だと思います。
自分の中での幸運が、人に迷惑を掛けたり、人の気持ちを踏みにじるようなことだったら、それは、めぐりめぐって、絶対に自分に返ってくることだと思いますし、心が荒んでくるんじゃないかと思います。
もうタイトルは忘れましたが、ある本に書かれていたこと、
ラッキーとアンラッキーは、順番にくる。
小さなクリップ、公園にすてたごみがラッキーのかたは、そんなラッキーで終わってしまいます。
もし、ラッキーがくるなら、もっと素敵な幸運であったらな。。
欲張りかもしれませんが、私はそう思います。
「お天道様がみているのよ」
昔の人は、そういって子供を叱りました。
人が見てなかったらいい。大丈夫、誰も知らないから大丈夫。
とてもさびしい考え方です。
罰則を強めたり、監視したりですむことではないように思います。
まだまだの私でも、気持ちよく 生きていきたい!と、えらそうなこと考えますね。
皆さんは どう思いますか??
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