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2007年10月

2007年10月29日 (月)

龍馬と孫悟空

    いやいや私のブログには、本当にお店の話が出てこない(-_-;)
一応お店のタイトルの入ったホームページに、異質のブログ。
ポリシーなんて凄いものではないけれど、私がここにいて出来る事・・・・。
勿論接客の良し悪しなどもあるのだけど、今の素の自分を見てもらうことが、私のここでの
使命かな~なんて思っています。
読んでくださってて、もしご興味を持っていただけるのでしたら勿論嬉しいですが、私にはここでは、気楽に自分の胸のうちを出せれたらなと思っております。

昨日、古本屋さんで、漫画「お~い 竜馬」を買う。
すでになんども読んでいるこの漫画、竜馬ファンの私には大切なものなのに、なぜか随分中抜けしてもっていなかった。久々に、竜馬に触れてみたくなった。
実際私は坂本龍馬に会ったことはない。できることならば会ってみたかった。
歴史大好きな私でも、あってみたかった日本史上の人物は、龍馬だけだ。
司馬遼太郎先生の「龍馬がいく」でも感じたが、少し前にはまった(今でも好きだけど)「ドラゴンボール」の孫悟空に、ちょっと龍馬はかぶるのだけど変かなあ・・・。

私はこう思う。まず 両者の最大の共通点は・・「素直」であること・・・だと思う。
彼らは人の意見を、きちんと聞く。そして、ためらいなく心にしまう。
そして凄い事が、その心にしまったモノを、生きる糧にかえてしまうのだ。

そしてこれまた最大の共通点・・・「我欲がない」こと・・・。
どう思います?私は、そう、思うんだけど・・・。
龍馬がやりたかった「世界の海援隊」は、決して彼の私利私欲だけではなく、「フリー」の自分を、心から愉しみ、喜ぶことだと思う。
そういう人間の姿(アニメだけど)見ると、心がほっとする。そして、優しい気持ちに慣れる。

残念ながらドラゴンボールがなくてシェンロンは出現しないので、龍馬は暗殺されてしまい、生き返ることもなかったのだけど、前日書いた「不安」という言葉を、少しでも忘れさせてくれるのが、坂本龍馬の生き方である。

そりゃあ、龍馬も人間だ。だから苦悩も勿論あったし、不安な気持ちも持つこともあっただろう・・。でも、目的に向かって、周りの人にも理解されずとも、信じる道をまっすぐに突き進む坂本龍馬・・。
龍馬さん、ぜひ私の迷いや不安を、綺麗に消し去ってしまえる、お助けをください。

もうすぐ龍馬の誕生日で、命日だ。
桂浜に行きたいな・・。

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2007年10月28日 (日)

私の器

10月も終わりに近づきましと、随分涼しく、いや、もう、朝晩は寒く感じるようになりました。
なかなかいろんな事のある毎日です。

そうそう、最初にお断りさせてください。
私のブログは、文章の語尾がそのときによって変わることがあります。
このように、「です・ます」のときもありますし、「である・~だ」って感じのときもあります。
そろえようとも考えたけど、その時の感じで、あまり気にせず書かせてください。
たぶん・・なんか自分の中でも、その時の心境の違いや、内容の違いでも、
無意識に変わってるんだと思います。ご了承を・・・。

前にも書いたけど、本当にここのところ、いろんな人と出会う。不思議なくらい・・。
自分の中で 少し、「答え」が出てきそうな、そんな感じがしております。
なんの「答え」・・・?
そう聞かれても、困る・・そんないい加減なものですが。

Yさんという女性に出会う。心理学を学び、神職を資格を持ち、今でも日々修行をされている方である。

「心をいつも、ニュートラルにしておきたいの」
彼女はそう言った。そうすると、天の声は、自然に入ってくる・・。そう言っていた。
断っておくが彼女は、特定の、新興宗教の方とか、そういう人ではない。
奈良「大神神社」に住居を構え、日々、滝に打たれ、奉仕作業をし、神の声に耳を傾ける・・。
日常性にまみれて暮らしている私には、その凛とした生き方が羨ましく思う。

人は、明日のことを知らなくても、生き生きと、生きていけるように、つくられている。

彼女はそう言った。

不安は、天から与えられたものではない。穢れのものです。
不安を持つことは、罪なんです。

そう、言い切っていた。

彼女の言葉は、この上なく心に響く。そこに、神の声が聞こえるような気がした。

不思議な感覚だ。彼女と話をするときは、いつもそう感じる。心が洗われる。

心の澱が徐々に薄らいでいく。恨み節で綴られた私の心が、自然と軽くなっていく。

しかし、不安を完全に除いて生きていくのは難しい。出来るなら、不安の無い生活を
していきたい・・・。でも、私は常に不安に苛まれている。
どうして私には、こんなに苦しいことばかり続くのか、運命を背負うのか・・。
そう、自分の心が、ねじれてきそうになる。

あのね、かすみさん・・それだけの運命を背負うって事はね、
それだけの「器」があることなんですよ。
あなたに背負いきれないほどの苦悩は、与えられないですから・・・。

涙がこぼれてしかたがなかった。 
初めて自分が 人に肯定されたような気がした。

いや、そんなことはあるはずはない。初めて肯定されたなんて、私は目が
曇っていた。私のために、心を砕いてくれる人達はたくさんいるのに・・。

本当にまとまりの無い文章になってしまった。

でも 次の日 随分連絡の途切れていた義理の娘にメールを出した。
いや、出せた・・というべきだろう・・。

彼女は私の体を気遣い、そして、帰ったときは、また 顔見せてね・・。と
返事をくれた。

自分の目は 随分 かすんでいたんだなと・・思う。
Yさんの言葉が胸をよぎる。

人の心を平和にしてあげてください。そしてあなたの苦しみや病気は、
そのための 修行ですから・・・と。

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2007年10月 5日 (金)

鬼と仏

この所不思議なくらい、いろんな人の話を聞く。
雅楽の会前後は特に、連日のようにだった。
いろんなタイプの人達で、いろんな経路で縁在って知り合った人達ばかり。私にとっては、大切な人ばかりだ。最近知り合った人、もう、20代からお世話になっている人、仕事関係で知り合った人。
たびたび登場するがスピリチュアルカウンセラーの江原氏によると、スピリチュアリズムの原則の中に、「波長の法則」というのがあるという。要するに、「類は友を呼ぶ」、ということらしい。そう考えると、ここ半年くらいの間にあった新しい出会いは、私自身のなにかしらの変化からくるものなのだろうか・・。(でたでた小難しい考え方(苦笑))。
当然お店をしているという事は、それだけ出会いも、多分一般の人より多い。1年間に何千人という人に会うことになる。でも、「会う」と「出会う」ではちょっと違う。「波長の法則」とか、何かの因縁で、いろんな話をしたり、聞いたりするようになるのは、その「会う」中でも、ごく限られている。それもまた、「必要必然」であるのかなと、思う。
そんないろんな人の話の中で、最近の私はいつも探してる。
せっかちな私の悪い癖。「答え」を見つけようとしている。
なにの「答え」?。自分の中の「澱」を浄化させる言葉を・・・。
・・・・・・
結局、今のところ、その答えは出ていない。
いろんな人が言う。「過去の事を無理に忘れる必要はない」と・・・。

最近出会いと同じくらい、本を読む。読書は大好きだけど、ここのところまたその読書癖が戻ってきた。でもそのきっかけも、いつもお店に来てくれている本屋さんのMさんの紹介してくださった五木寛之の「私訳 歎異抄」という本だ。それと同時に他に数冊いっぺんに買い込んで読んだ。
その中で、あの、いつも「長者番付」に登場する斉藤一人さんの書いた文があった。
斉藤さんは、「過去は変えられる」と書いていた。
まるでオセロゲームのように、過去の「黒」を「白」に変えていく。大変興味深い話だったけど、無難しいなあ・・・と思う。今の私には・・・。

とにかくここのところの、いろんな人の話にしろ、本にしろ、私に何かを教えてくれている作用が働いているような気がする。
今はまだ分からないけど、も少し時間がたって、ああ、あの時、あの人がああ言ってたな・・。と、そう思う日が来るのかもしれない。
自分を受け入れる・・・。そんな事をいってくださった人もいた。嫌な事考えてる、ずるい事考えてる自分を、「かわいいやん!」と認めてあげる事。
同じ時期、知り合いで書道家のFさんの作品にこんな事を書いていたのを見る。
「人の心  鬼と仏」
それでええやん!人間やもの・・
とFさんは言う。

今の私は 自分の中の鬼が恥ずかしく思っている。そして、鬼にしたモノに何かしらの嫌な嫌な思いを抱えている。

ヒントはたくさん頂いた。でも 自分の運命は、自分でしか変えられない。

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