« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

2007年8月

2007年8月31日 (金)

成長のプロセス

8月も終わり。日中はやはり暑いのですが、店の中の温度は随分涼しくなりました。
真夏には温度19度にしていたのに、店内温度は29度。
それが、今日も24度くらいで25度くらいに落ち着きます。それだけで、だいぶ違うような気がしてしまいます。

 

ところで皆さんは、「仕事」って、どういうとらえ方しますか?
日本人の多くの皆さんは、60歳とか、社内の規定で、定年退職する、というルールにしたがいますよね。最近の事ですから、いろんな諸事情で会社など退職する方も多いでしょう。
ある本に書いてあった事ですが、定年退職とは、欧米の習慣だそうです。
もともと「労働」とは、上から見ている神様からの「罰」であり、長い間働いてきたら、老後はゆっくりする、という考え方だそうです。
でも、私たちの和食店の世界でもそうですが、日本の職人さんの世界って、60歳なんて、まだまだひよっこだ、なんて言われたりします。
 私の場合、運命なのか何なのか、こういう店にやってきて、一応、自営業ということでやっています。定年などというのはありません。これは、喜ぶべきか、悲しむべきか・・・。
 若い頃、私は出来たら、一生仕事がしたいと思っていました。
それも、ただ賃金のためだけじゃなく、いろんな可能性を試してみたかった。
そしてたまたまにも、そういうところに来ました。
前にも書いたけど、女将の仕事は、40歳からが徐々に楽しくなるよと、京都の先輩女将に言われ、もう、目前です。
可能性を試す、といっても、大変な事のほうが多いです。

 私は自分で、決して能力の高い人間だとは思っていません。子供の頃検査した知能指数も、人並みだったように思います。受験勉強でも、限界を感じた事もありますし、この店に入っても何度自分の器の小ささに嫌になった事か・・・。

ただ、こうも思うんです。
痛みを知らない人間は、大きくなれない・・・。
いろんな事に思いをめぐらし、自分のキャパの小ささに情けなくなり、落ち込み、そして日にち薬で立ち直り。その繰り返しで、私は1ミリでも、大きく慣れてるんだ・・・と。

私は凡人です。だから、いろんなこと飛び越えて、一足飛びでいろんなことクリアはできません。
でも、着実に前に進んでいると・・・。

もし、生涯まっとうできて、自分の人生振り返ったとき、この一生を振り返ったとき、
生まれてくる前よりほんの少しでも、成長していける自分でありたいと思います。

仕事とは・・・私にとっては、成長の過程を思い悩み、昇華させるプロセスじゃないかと思うんです。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月26日 (日)

菊水のひきだし

あらあらあらららら・・。もう、8月終わりそうですよ。
子供の宿題じゃないけれど、ここんとこスランプで文章の書けなかった私。8月入って1回しかかいてない(ーー;) 
最近セミの鳴き声が少なくなってきたように思います。残暑は厳しいですが、もう、処暑も過ぎ、秋の気配なんでしょうかね。
セミは、何年もの間、土の中にいて、やっと地上に生まれたら、数週間しかいきられないとか・・。そんなことを聞くと、蝉取りが、出来なくなりますね。
うちの前の、自動販売機には、よく、蜻蛉がとまっています。そのかげろうも、生まれてすぐ死んでいく・・。一体なんのための「生」なんでしょうか・・。

とにかく、毎日忙しい毎日です。自分の時間がほしい(-_-;)
そういえば9月のイベント、「仲秋の名月 雅楽と日本料理」の会を開催する事になりました。最新情報に掲載しております。
意外かと思われるかもしれませんが、仲秋の名月のイベントは、当店は今まで、開催した事がなかったんですよ。
毎年、気がついた時には、もう、終わってた感じです。
んで、今回は早めに開催決定致しました。
コンサートも、いろんな楽器を考えたのですが、私が、いろんな意味で救われたスピリチュアルなものにしたかったんです。
そこで、知人の神社の方に、香川県神社庁雅楽部の部長さん、櫻木さんを紹介いただきました。
お電話での櫻木さんは、大変気さくで、まったく知識の無い雅楽のお話を、少しお聞きしました。
日本の古来の音楽でありながら、私達は雅楽を聴く機会があまりありません。
もったいないですよね。
櫻木さんは、当日は、雅楽のお話も少ししてくださるようです。
今回お越しくださる 笙・龍笛(りゅうてき)・篳篥(しちりき)は、3管と呼ばれ、笙は、天から差し込む光、龍笛は天と地の間を泳ぐ龍の声、篳篥は地に在る人の声をそれぞれあらわしているそうです。それに、楽太鼓が入ります。
当日は、私も非常に楽しみです。ぜひ、お越しくださいね。

秋には、「吟醸の夕べ」も、行おうかな・・と思っています。
前回、いろいろ考えましたが、やはり「継続は力なり」、いい意味で緊張感を持ちながら、自分らしい、会にしたいと思っています。
また 会でやってもらいたいような企画がございましたら、ぜひ、アイデアくださいね。

やはりイベントというのは、特にこういう一日限りの会に関しましては、特に、お店の利益がうんぬん、というのは正直考えていません。
「料理屋」という場にいる私の、可能性へのチャレンジです。菊水の「ひきだし」を作っている、ともいえるかもしれません。
とにかく、精一杯、お客様に喜んでいただけるものを、作っていくのみです。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月 4日 (土)

「喜ぶ」ということ・・

台風も過ぎ、8月。この前からまわりの林から聞こえてきてた賑やかなセミの鳴き声も、さすがに台風の時は静まっていた。でも台風が過ぎた今日も、静かだったな・・?なんでだろう・・。

さて、前回、「謝る」という事を書いた。
またまたのディープな話題だったけど、今回は、「喜ぶ」ことについて、書いてみようと思う。
私が小学生の事、山口百恵という歌手が引退した。
このかた、引退してかなりなりますが、日本中で、この方の名前を知らない人も少ないだろうというような有名人だ。私は彼女のファンで、「赤いシリーズ」など、ドラマも見てたし、レコード(古いな~)も持っていた。「プレイバックpartⅡ」なんて、かっこよかったなあ・・。彼女が引退した最後のコンサートもテレビで見て、ますますその魅力にはまっていた。
そんな彼女が引退の際、自叙伝を出版した。たしか、「蒼い時」というタイトルだったような気がする。当時結構売れて、ベストセラーなんかになったのではないだろうか。
そんな彼女の本だから、当然読む。もう、随分昔のことだから内容は殆ど忘れてしまったけれど、それでも今でも、忘れられないフレーズがある。

「私は、喜び方が下手だ」というくだりであった。
子供の頃から下手で、「甲斐の無い子」みたいなことを言われていたという事を、書いていたように思う。
私は、「喜ぶ」瞬間、そのフレーズが今でも思い出す。
私は、人が自分のために何かしてくれたとき、何か、物を下さったとき、そんなときの喜び方が、実は下手である。

喜ぶ、という事は、とてもハッピーな事だ。嬉しくも無いのに喜べない。
でも、嬉しいのに喜べないのも、結構苦痛だ。
私の知人で、喜ぶのがとても上手い人がいる。勿論自然にしている事で、別に彼女は、意識して喜んでる訳でもない。でも、本当に、嬉しそうだ。
庭の花一輪、大福一個でも、ものすごく喜ぶ。だから、周りの人は、もっと喜ばそうとする。やはり目いっぱい喜んでもらえたら、甲斐もあるものだ。
私も、本当に嬉しい事も勿論あるんだけど、なかなかストレートに喜びを表現できない。
喜ぶ事も、才能がいるような気がするのだけど・・・。
ちゃんと自分の喜びが、相手に伝わっているか、とても不安になる。だから、少々くどくなる。これ、よくあるパターン。
つくづく自分の事って、わかってないよなあ・・と思う。

子供の頃、「めっちゃ嬉しい」かった記憶が無い。
それも影響しているのかなとも思う。
おもちゃもあまり買ってもらった記憶もないし、すごくほめられた事もない。
だから、「喜ぶ」子供ではなかった。そんな事も影響があるのかもしれない。

取り繕う自分。不自然な自分。
私という仮面を 剥がしたくなる。

自分を好きでないと 喜べないような気もする。心の中で、「私なんか・・・」と思ってる人は素直に喜べない・・・。

少しづつでも 練習してみよう・・。
まずは、自分を好きになる練習・・。



| コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »